2009年4月17日金曜日

「文化放送の名物リポーター中川充四郎さん“卒業” ライオ�

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文化放送の名物リポーター中川充四郎さん“卒業” ライオンズナイター一筋27年
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2009/03/29 20:57更新
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記事本文
 特定のチームに肩入れするプロ野球中継の先駆けとなった文化放送「ライオンズナイター」は、1982年開始。以来27年間、綿密な西武情報を伝えてきた名物男が番組を卒業する。
 在任中はリーグ優勝16回と10回の日本一を経験。「本当にラッキーでした」と振り返る。マクドナルドの店長を退職し、ペンション経営の準備中に番組のリポーター募集を知り、応募。アナウンスの経験はなかったが、約160人の候補の中から選ばれた。「『充四郎という名前が面白い』と選考に残ったそうです」(笑い)。
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記事本文の続き 新米時代には失敗もあった。「ここは代打大田(卓司)でしょう」。自信たっぷりにベンチ横でリポート中、ポンと肩をたたかれ、振り向くと大田選手本人だった。「『おれはまだなんだ』と教えてくれたんです」。
 86年、広島との日本シリーズでは3敗1分から4連勝で日本一を奪還。最後の第8戦の六回、同点2ランを放った秋山幸二選手(現ソフトバンク監督)がホームインの際、バック宙返りを見せたが、実はその“仕掛け人”でもあった。身体能力抜群の秋山選手にこの年、番組で「サヨナラ本塁打を打てば宙返りする」と宣言させていた。「シーズン中は実現しなかったが、あそこでやってくれるとは。うれしかった」。
 さらに「球団発表のコメントを流すのはだれでもできる。自分は本当の選手の生の声を伝えたい」をモットーにしてきた。選手との信頼関係は「どんな面白いネタでも『これは放送でしゃべらないで』と頼まれれば絶対に守る」ことで保ってきた。
 31日の特番(午後6時から)が最後の出演となる。「これからは完全なフリーの立場で野球を見たい」。還暦を前に新たな一歩を踏み出す。(三浦馨)